キャンペーン概要
プロジェクト
分析レポート
リオ-10リンク集
ボランティア募集
ミーティング・勉強会
環境問題を知る本

 

Johannesburg Summit 2002  

 

暗い過去をバネにした
クリエイティブなダイレクトアクション
スージン&ウンギョの視点と戦略
(韓国KEY:Korean Ecological Youth)

 

   「韓国の青年・学生運動を語ると言うのはとても重いテーマなの。自分を投げ出して戦わなければならない状況だったから。でもそれは歴史において重要な役割を果たしたのよ」スージンは冒頭、そんな話をした。

   八十年代、韓国では軍事独裁政権打倒を目指して街へ繰り出した学生たちは手に鉄パイプや火炎瓶を持っていた。それは暴力的ではあったが市民には支持されていた。先頭に立って社会問題に立ち向かって行ったからだ。その光景はまるで日本の六十年代のようだ。しかし韓国では断絶することなく、こういった流れのまま九十年代を迎えることになった。

 

弾圧の中の市民運動

   「九十年代になり状況が変わり始めたの。特に二つの出来事によってね。一つは東側諸国における社会主義の崩壊。もう1つは九三年に文民政府を標榜する金泳三政権が誕生したことよ」国民は民主政治の実現がされることだろうと喜び、さまざまな考え方が登場した。そして、今まで労働運動の中で大衆化しようとしていた学生運動が社会に対しての影響力を失った事によって、新しい方向を提示することが迫られた。そして運動が多様化していく中で、環境・女性・平和などの新しい社会運動が生まれる事となった。

   「新しい形の運動に対しても以前と同様の政府の弾圧が行われたわ。政府はその社会的影響力を恐れたから。その中で九七年には一人の学生が亡くなった事件が起こったけど学生運動は強硬な姿勢をとり続けていたのよ」

   韓国において「市民運動」という言葉は九十年代になって使われ出された新しい言葉なのだが、その新しい「市民運動」はこのような状況の中で成長して行ったのだった。

 

世界を「あっ!」と言わせる
クリエイティビティなアクションの数々

   ではその中でKEYのような環境NGOはどのようにして生まれたのだろう? 九十年代中頃に活動家が環境活動に興味を持ち始めていたが、それが表面化したのが九七年、武州での冬季ユニバーシアード大会の会場造成によって起こる環境破壊に対しての反対運動においてだった。

   「政府は武州の山に集まった人々を逮捕しましたのだけど、この行動に加わった人々が大学に帰り小さなグループを作ったの。そして問題が起こっている地域に直接行って地域と連帯しその問題が社会問題化されることを目指す『環境現場活動』を始めたのよ」

   原発によって死に行く未来を奏でる白装束の死に神。絞首刑にされる地球。不気味な未来を暗示するオブジェに彩られたアクションではあったが、どこかに滑稽さを感じさせた。危険が伴い、苦労もあったはずのアクションを話すウンギョはとても楽しそうに私たちに説明した。彼女の笑顔にはしなやかさがあった。その行動には連綿と受け継がれている学生運動の精神と何よりバイタリティを感じることが出来た。日本の断絶した80年代を挟んだ運動との違いも見え隠れした。

   「現在、グローバリゼーションの波は否が応にも韓国に押し寄せているわ。しかし、この事こそが様々なNGOがあらためて連帯するチャンスだと思っているの」スージンは最後にそう言った。過去に暗く重い歴史があろうとも、明るい展望を持ち続けるというのは大変なことだ。しかし、その姿勢が精力的な活動・ひいては創造性豊かなダイレクトアクションを生み出している状況を見た時、私たちにとっても感慨深い話であったと思う。

(文責 宮腰義仁)

韓国関連情報

 

韓国の反グローバリゼーションの動き

韓国の反グローバル化アクションKOPA

   韓国には反グローバリゼーションを訴える市民団体がたくさんある1999年9月、それら40以上の団体が集まってKOPA(投資条約とWTOに反対する、韓国人アクション)という連盟組織を結成した。参加団体は環境系のみならず、農業者同盟、人権団体、政治監視団体、女性解放団体、健康救済団体、学生など様々だ。KOPAの活動目的はWTOがもたらす負の側面を人々の前に明らかにすること、また進行中の韓米、韓日間の投資条約をストップさせる事だ。そして多国籍企業の金融資本をウォッチしたり、貧国の債権帳消しと貧国への援助金が下層級の人達へ正しく分配される事、経済的発展闘争における国際的連結の重要性などを訴えている。

通貨危機の影響からくる危機感

   なぜこのような動きが韓国では活発なのだろうか。それは1997年、東南アジア諸国で波及した通貨危機に、韓国も大きな打撃を受けた事が関係しているだろう。これぞまさにグローバリゼーションの代償の結果である。この時韓国はIMFの援助を受けたが、IMFの手法は南米やアフリカ諸国に対して行ってきたやり方と同じだった。例えば南米では、世界の投資家が投資した先は、国の事業に対してがほとんどだった。しかしその事業の管理体制がしっかりしていなかった事や、輸出先の西欧がその頃不況だったために輸出が伸びなかった事などが通貨危機に陥らせる原因となったのである。

貧しいものはますます貧しく

   韓国の場合は工場や企業当てに投資がされていた。しかし、生産過剰が続いていたところにタイの通貨危機が起き、投資家がアジアから一斉に融資を引き上げてしまった事によって韓国にも通貨危機が起こったのである。南米の経済危機とは全く経緯が違うのだが、IMFが一律に押し付ける「切り詰め制裁」は韓国人のプライドを傷つけ、その不況のしわ寄せは弱者へと来た。多国籍企業は国内の株式市場の30%以上の経営権をかっさらってしまい、市民のためにサービスを提供してきた公的業者は、税金泥棒として国内外に売り渡されてしまった。富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなり、所得格差は過去最高となった。その弊害は今も続いている。

韓国映画を守れ!

   よってグローバリゼーションの被害経験者ゆえ、WTOが実行力を持つものとなると、その弊害が益々厳しくなるという危機感に敏感なのである。例えば韓国の映画産業界は、アメリカ映画が韓国映画を駆逐してしまうのではないかという危機感を人一倍抱いている。芸術文化の多様性は保護されるべきだろう。また農業従事者や労働者、一般人も安い海外商品の輸入自由化が進めば、自分たちの生活が脅かされるため、WTOに危機感を持っている。KOPAに参加している人々はIMFや各国政府が提唱する「新自由主義」的政策は、経済危機を克服するための真の解決ではなく、各国の利益の押し付けだったり、人権を奪うものだったり、新たな形の帝国主義だと考えている。

ソウルでアクションを実施

   99年には反WTOとして組織を総動員し、シアトル、ニューヨーク、ソウルでアクションを行ったし、2000年10月にはソウルでアジア・ヨーロッパ会議(ASEM)があったため、グローバリゼーション反対アクションやイベントを綿密で長い準備期間の元行った。その活動はとても精力的で規模も大きく、市民活動は韓国人に身近なものとして根ざし、広まっているようだ。グローバリゼーションを食い止めるのは個人の力にかかっているという使命感、現実感を多くの韓国人は持っているのではないだろうか。

(翻訳:堤本陽子)

詳細は以下まで
http://antiwto.jinbo.net/eroom/index.html

 

| Japanese | English |


この企画は国際青年環境NGO、A SEED JAPANによって運営されています。
Copyright(C) 2001 A SEED JAPAN. All Rights Reserved.