田畑さんは和綿の重要性を会社員時代からすでに認識しており、日本各地を訪ね歩い
ていた。ただ、会社を辞めた後、将来まで和綿をやっていく上での確信を得るために
もインドへ行く必要があった。
インドで綿や糸紡ぎというとガンジー(※2)に辿り着く。そして、ガンジーの創設したアシュラムに滞在することになる。そこでは、レ
ンガで家を建て、自然農法で育てた作物を太陽熱で料理し、牛の糞からバイオガスを
とってエネルギーを得る生活を実践しており、チャルカという糸紡ぎの道具が生活の中心だった。チャルカによって糸を紡ぎ、チャルカを廻しながら祈りを捧げる。田畑
さんは、そこで技術のみならず、ガンジーの思想にもふれ、のめり込むことになっ
た。
ガンジーは、戦争や貧困など現代社会の様々な矛盾は、近代機械文明の誕生に遡ると
いう。その本質は、「衣」に象徴される。農耕牧畜に始まる「食」の革命によって文明がもたらされたように、イギリス産業革
命はまさに「衣」の革命だった。動力機関を使った織機の開発により、大量
生産が可能になる。その繊維原料として、アメリカ南部では奴隷を使った綿花の大量
生産が始められた。そして、当時の大英帝国が製品の市場をインドにまで拡大したために、インド国内の手工業による繊維技術を衰退させた。必要以上にモノを作り出すことですぐに需要は満たされ、原料と市場の奪い合いになってしまう。
田畑さんは、日清・日露戦争と2つの世界大戦もまた、そういった「衣」の機械化と密接に関わっているという。そのインドで、ガンジーは人々の自立のために立ち上がった。工業化を否定し、自然の恵みを得るために自分の手足を正しく使って活かしていくことで人々は豊かになれる、と説いた。チャルカはそういったガンジーの思想を表す変革のための行動の象徴なのである。「衣」を見直すことで、文明のあり方を変えようとしていたのだ。田畑さんはこのチャルカの思想がインドにおいてさえ忘れられていることを知り、1999年『ガンジー・自立の思想』を出版した。田畑さんは、「衣」がいかに重要化ということを強調されています。機械による大量
生産で「衣」が溢れ過ぎて、簡単に手に入り、まさに空気に等しい。「衣」とは人間にとって特別
なものであると。ガンジーと同じく、社会の本質を見つめ、「衣」の大切さを訴え続けている。
■和綿を広める活動
田畑さんは現在、ワークショップ(※3)を開いて参加者に綿の種まきから機(はた)織りまでを実際の作業を通
して教えながら、ガンジーの思想も広めている。また、2000年からは「和綿の種を守るネットワーク」を立ち上げ、日本各地の綿の在来種を収集し守る活動を始めた。かつては200種以上の種が農林水産省に保存されていたが、もはや綿の国内生産は必要ないとの判断で廃棄され、今では40種ほどしか現存していない。
「1200年続いた和綿の文化が、ここ数十年で失われようとしています。文化はお金に代えられない価値です。祖先から受け継いだものを僕の世代で廃れさせてはいけません。それが私たちの責任です」
田畑さんはそう語った。
急激な価値観の変化とグローバル化の中で失われていくものに、私たちの世代はどう向きあっていけばいいのだろうか。田畑さんの言葉の中には確かな希望と強い意志が込められていた。今後は、環境教育の一環として、子ども達に和綿の技術と歴史などを伝えていきたいと言う。
※1
鴨川和棉農園HP
http://www1.ttcn.ne.jp/~wamen-nouen
※2 マハトマ・ガンジー
1869年生。インド独立の父とも呼ばれる。近代機械文明を批判し、環境問題・南北における貧富の格差、戦争と平和の問題について、歴史の流れからその原因を説明した。チャルカ(手紡ぎ車)を象徴としたスワデシ(自立)、スワラージ(自治)の獲得と、アヒンサー(不殺生、非暴力)を実践したが、1948年(78歳)暗殺される。
※3 『ガンジー・自立の思想―自分の手で紡ぐ未来』(地湧社)
M.K.ガンジー(著),田畑 健(編集),Mohandas Karamchand Gandhi(原著),片山
佳代子(翻訳)
※4 2004年ワークショップのお知らせ
<1泊2日 20,000円(宿泊費・材料費込み)>
1月31日、2月1日・・・チャルカでの糸紡ぎ
3月20日、21日・・・・畑での綿の種まき方法の指導とチャルカでの糸紡ぎ
4月3日、4日・・・・・・畑での綿の種まき方法の指導とチャルカでの糸紡ぎ
4月10日、11日・・・村上智勢子先生(原始機愛好家)による
原始機(リジット)での手織りワークショップ
6月19日、20日・・・・綿畑での除草、間引き作業の実習と
A-糸紡ぎ(チャルカでの)コース
B-機織りコース
(聞き手/文責:いっちー、さとっち、のぶ 取材日:2003年12月6日)