■農業の現状
「今の農業というのは、ほとんど担い手がいない状況だよね」という言葉がまず彼の口から出た。「日本の農家の平均年齢は大体60歳くらい」という事実からは、より客観的に今の農業の置かれている「現実」が見えてくる。白石さんは、日本の農業の窮状について、三つの理由を挙げる。一つ目は「労働に見合った所得が得られない」こと。平均的な米農家で米作りだけの売上げは年300万円くらいだという。また、規模によって変わってくるが、売り上げの5割程度は経費で相殺されてしまう。二つ目は「世の中の農業に対する見方」だ。これについては少しずつ改善されてきていると思うのだが、ある時白石さんが広辞苑を引くと、「百姓:田舎ものをののしって言う語」と載っていたそうだ。それ以来白石さんは「百姓:命と環境を慈しみ、生きるものの糧を生み出す仕事」と書き直させようと心に決めている。三つ目には「農業が世襲化され、産業としての活力が弱まってきているということ」があるという。
■農業を始めるまで
小白石さんは現在「風のがっこう」という市民参加の体験農園を主催され、ご自分の農園で一般 の人達に農業の指導をしておられる。今では「大地からの恵みを受けながら生きていくのが人間の豊かさ」と語る白石さんだが学生時代は「農業なんてやったってばかばかしい、他になんか考えた方がいんじゃないか」と思ったこともあったそうだ。
白石さんは「練馬大根」で有名な練馬区大泉の農家に生まれた。都内の農業高校に進学したが、「自分は本当に農業に向いているのか」と迷い始めて大学への進学を決めた。大学入学後は歌声サークルに入って活動しながら、北海道への旅に出るなどをして過ごしたそうだ。卒業してもすぐには農業を始める「踏ん切り」がつかず、一年間北海道のユースホステルなどで働きながら過ごしていた。その後妹さんの結婚などを機に実家に戻り、農業を始める。
■自分のしたい農業を求めて
農業を始めたものの、最初はあまり乗り気になれなかったという。もともと社交的な自分がもくもくと作業することに違和感を覚える日々。「ただの農民ではいたくない!」という思いから「畑のある保育園」をしようと決意した。農業のかたわら大学の通
信講座で学び幼稚園の教員免許を取得するほどの固い決意だったが、開園一歩手前で園児の確保が難しいということで断念せざるをえなかった。しかしこの時の「人と接しながら、農業をやりたい」という思いは、「風のがっこう」を開いている今現在まで白石さんの中に息づいていると思う。
93年白石さんに知り合いの農家から電話がかかってくる。現在練馬区で体験農園を主催している加藤義松さんだった。「野菜を作って売るよりも、野菜作りのノウハウを売る農業の方が、面
白いんじゃないか」という彼の言葉に共感し、練馬区の都市農業担当セクションにアイディアを持ち込み三年がかりで実現にこぎつけた。
2001年の4月「風のがっこう」では約200人の方が参加した。そのなかで忘れられない出会いも多かったそうだ。長年企業に勤めてこられて退職された方から「夢は持つもんですね。」という言葉を聞いたときは「すごいうれしかった」という。「夢は持たなきゃそこに近づけないだろう?」という言葉はまさにそのとおりだと思う。
■農業という生業
「『働く』を別の言葉で言い換えると何ですか」最後にたずねてみた。少し考えた後「人間として生きていく原点」と答えてくれた。「ある意味で人間の全てが試されるのが都市農業だ」と白石さんはご自身の本の中でも書いている。白石さんの家の周辺には農地を売った、いわゆる「土地成金」と呼ばれる人たちがいる。白石さんはそのような家の子供について「生きて働くことを目の当たりにできないのは不幸だと思う」と言った。そこには親としての視点とともに、先祖代々耕され続けた農地を受け継いだ農家としての視点もあるように思う。この言葉を聞いたとき、僕はアメリカンネイティブの「七世代先のことを考えて行動する」という生き方に通
ずるものを感じた。地に足をつけた生活をしている人間は「土」から生まれ、「土」に帰ることを忘れはしないということだろうか。代々耕された白石さんの「土」は除草剤など無くても滅多に草は生えない。そんな「土」は一朝一夕には生まれない。そんな畑に足を踏み入れるごとに「今」だけでなく、「過去」も、「未来」も視野に入れて生きていくことの豊かさを教えられる気がする。
仕事が細分化されると「何が仕事なのか」見失ってしまうかもしれない。しかし何万年も前から仕事の目的は「食べる」ことだった。「食べ物を作る」農業こそ「生業」というに相応しいと思う。白石さんは「おれはここで農業の置かれている現状を改善していく実験をしている」とはっきりと言った。現在の農業の置かれている厳しい「現実」を変える決心を持てたとき、むしろその「現実」は夢の踏み台として人の足元を固めてくれるようになるのかもしれない。自分のしたいことを常に探し、自分のしていることを「命と環境とともに生きる素晴らしい仕事」と力強く言い切る白石さんの笑顔の奥に、仕事に対する「誇り」を感じた。
2002年春 聞き手・文:高木佑輔
|