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エネルギー問題から地域創りへ
 
「事件は会議室じゃない、…以下略」なんてセリフが印象的な映画がありましたね。「環境問題」「南北問題」というけれど「実際誰が誰を苦しめているのか、自分のアクションはどんな人と結びついているのか」。考えてみるとあまり簡単に答えが出ない、なんてこと実は多いのではないでしょうか。今回は、以前A SEED JAPAN(以下ASJ)で活動し、現在は「問題」の現場に飛び込み、そこで生活する中川幹太さんにお話を伺ってきました。

【中川幹太さん】
A SEED JAPAN・エネルギーチームでの活動を経て、柏崎でNPO「環境工房柏崎」を立ち上げる。地域の自然や人の魅力を知り、現在は「かみえちご山里ファン倶楽部」にて里山の保全や伝統技術継承に取り組む。

 
 

■ASJで

 ASJで活動して少し経った時、仲間とともにエネルギー問題に取り組むためにエネルギーチームを作った。最初は原発に関する勉強会を開催するなどの啓発活動から始めた。ASJに入って以来、現在のごみゼロナビゲーションの前進である、ジャパンズトラッシュの活動が中川さんを刺激し続けていた。ライブイベントでの活動などの実践的な活動を通 して、環境問題を考える人の「輪」を広げている活動に共感した。エネルギーチームの活動も、実践重視のアクションに力を入れていた。例えば「自分で使う電気くらいは自分で作る」ことを目的に、携帯電話用の太陽光発電装置を売り出したりした。

■柏崎へ

 実践を重視した延長で、現地での活動を考えるようになった。そして2001年の7月には、既に何度か訪れていた柏崎(世界で一番原発が密集している町)への引っ越しを決意した。地元で反原発の市民運動に取り組む人々を手伝おうと考えたのだ。引っ越し後は、市民運動のネットワークづくりなどをする「環境工房柏崎」を立ち上げた。東京電力の計画で、柏崎市に「環境共生公園」の建設が計画されており、中川さんたちはその公園をもっと市民主導のものにするための運動を展開した。

以前から「ただの反対はしたくない」と思っていた。実際に現地では原子力産業で生活している人が多くいる。その現実を直視しないで、人々の生活の糧を批判するようなことはできない、という想いがある。反対だけではなくてオルタナティブ(もう1つの選択肢)が提案できる活動を模索していた。

ロビイングなどを通 して人間関係が広がり、柏崎の隣に位置する上越市の取り組みに興味を持った。ある時「環境工房柏崎」の活動の参考にしようと、上越のNGO/NPOを訪問する機会があった。その中で間伐材の利用などを通 して森林保全などに取り組む「木と遊ぶ研究所」を知り、仕事を手伝うようになった。

■くわどりへ

同研究所の仕事を通して、歴史あるくわどり地区に通 うようになると、その地域、人に惹かれるようになった。そして今年の4月には柏崎からくわどり地域に引っ越して、中山間地域の支援を行うNPO法人「かみえちご山里ファン倶楽部」で働くようになった。そこでは萱葺きの家を再生する、炭焼き小屋を建てるなどの活動をしている。さらに地域に伝わる貴重な技術の伝承にも取り組んでいる。

「おれなんか失敗してもいんだよ。地方で、色々な現場で、色々な経験が積み重なって、社会が変わっていけばいいんだよ」

そんなことを話してくれた。中川さんを問題の現場に飛び込ませているもの、それはゆるぎない未来への希望に違いない。

今回は、同NPOの理事の方からもお話を聞くことができた。原発のことなどを話している時に「人のことはいい、君の意見を聞きたい」と言われた。正直、一瞬戸惑ってしまった。環境問題や南北問題などの社会問題を考えると、問題の大きさに足元をすくわれ「自分のこと」を考える余裕を失ってしまうことがある。しかし問題の解決には「自分はどう生きていくか」を問うことが欠かせない。「社会」問題が「人間社会」の問題である限り、「自分が変わることが社会が変わること」であるはずだから。

実践を大切にして活動し、現地に飛び込んだ中川さんとの話を通 して、自分の立っているところ、これから進む道を考え直すことができた。答えはまだ見えてはいないけれど。「もっと『ひと』と話しがしたい」そう思いながら今回のインタビューを終えた。


2002年12月 聞き手・文:高木佑輔