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人権問題に取り組む〜大企業から緊急援助NGOへ
 
NGOで働くってどんなこと?」最近こういう質問によく出くわします。しかし仕事を選ぶきっかけは人それぞれ、とても一言では答えられません。そこで今回は、世界の難民問題等に取り組むピースウィンズ・ジャパン( http://www.peace-winds.org/ ) で働く石井宏明さんに、NGOで働くようになったきっかけを含めてパーソナルヒストリーを伺いました。「これから社会に出てキャリアを積んでいく人にとって少しでもヒントになれば」と思います。

【石井宏明さん】
ピースウィンズ・ジャパンスタッフ。某大企業勤務を退職し、アジア・アフリカを歩いた後に米国に留学。先住民族問題や人権問題に関心を持ち、運動に関わり始める。帰国後、アムネスティ勤務を経て、現在はピースウィンズ・ジャパンにて海外事業部にて活躍中。

 
 

■興味を活動に

「窮屈だった」大学卒業後、某大手企業に勤めた石井さんは会社時代をそう振り返った。働き始めると、バドミントンに明け暮れた大学時代の反動からか「学ぶ」ことに対して「渇き」に近い気持ちを抱くようになったという。

そして1989年、「天安門事件」「ベルリンの壁崩壊」という激動の年に退社を決意、「人に会って吸収する」という思いを実践する形で中国やアフリカを放浪した。

1990年に渡米して語学学校に入学、そこでネイティブアメリカン(アメリカの先住民族)の運動に関わる先生たちに出会った。この頃からビジネスへの思いは薄れ、大学院では国際関係を学ぶことになる。

知人が人権問題に取り組むアムネスティ・インターナショナル(日本支部HP http://www.amnesty.or.jp/ )に関わっていたことから、石井さんも運動に関わり始める。アムネスティには誰にでもできる活動として、政治犯の恩赦を求めて「手紙を書く」というものがあり、石井さんもそれに携わっていた。いつの頃からか持ち始めたマイノリティ(少数者)への興味はこの頃から「活動」に結びついていく。

■日本を変えたい!

「日本には差別は無いから人種の問題はわかりません」

ある日の授業中、日本人留学生の口から出た言葉だった。石井さんはこの発言に愕然とすると同時に、社会問題に対する欧米人と日本人の意識のギャップを痛感した。この時「日本を変える」という大きな目標を強く感じたそうだ。

帰国後は塾講師をしながら夜は医療福祉施設で働くようになった。同時に地元愛知でのボランティア活動に携わった。大学時代からボランティアとして社会的活動をしていた石井さんにとって、有給のNGO活動は全く頭に無かったという。

職員と意見が合わずに福祉施設を退職したころ、アムネスティジャパンのニューズレターの中にスタッフ募集の知らせを見つけ応募、1995年から東京で働き始めることになる。そこで、日本の難民問題に正面 から向き合うようになったという。

アムネスティで働き始めて2年目の1997年、前年にできたばかりのピースウィンズ・ジャパンから、クルド難民に関する相談があった。同団体との関わりができていく中で、同団体の統括責任者である大西健丞氏と意気投合、同団体で働くこととなった。現在は渉外担当として世界中を飛び回る日々である。

■「やりたいこと」と仕事

世界を知りたいから、日本を飛び出す。日本を変えたいから、社会的活動をする。やろうと思うことをやっているうちにここまできた。今は「やりたいこと」と仕事がたまたま一緒になっている…というのが、僕の受けた印象だった。

もし石井さんがNGOで働けなかったら、社会的活動をしていなかっただろうか。答えはもちろんNOだ。「やりたいことを貫き通 す」というと強靭な意志を持った人を想像してしまうかもしれない。しかし石井さんにその種の気負いは感じられない。

社会的な活動に対する「想い」は、大学院時代のボランティア活動から、NGOの有給スタッフとしての今の仕事に至るまで変わっていないという。自分がいて社会があって、社会に対する不満がある。だから社会活動に関わっていく。そう考えれば、NGO活動は社会にいる限り当然の行為なのかもしれない。「仕事をして賃金を得ていくこと」を特別 視しないでいるからこそ「やりたいこと」を諦めずに追いかけられる強さがある。石井さんにとって、仕事は心地のいい社会を作っていくための一つの手段なのだろう。

2002年秋 聞き手・文:高木祐輔