■通
訳という仕事
伊庭さんは現在、国内では「安全な食と環境を考えるネットワーク」の事務局長として、海外では農薬行動ネットワークや農業貿易政策研究所の活動を通
して食糧、農業、環境などの問題に関する情報発信を行う一方で、通
訳などで生計を立てている。
現在はNGOで活躍されている伊庭さんだが、大学時代に思い描いていた将来像は他にあったようだ。
「当時は、雇用均等法もなく、大卒女子の募集はほとんどなかった。それで、男女の区別も年齢制限もなく、能力評価で報酬がもらえる技術を身につけようと考えたら、通
訳という仕事になったの。」
■アジアでの経験
大学卒業後、出版関係に就職と同時に通訳の専門学校に通った。2年後にフリーの通訳となり、国際会議等の仕事で世界中を飛びまわった。
「その頃、ヒマラヤに登った後、半年くらい南アジアを旅行したの。行く先々で、泊めてもらった現地の人たちと家族づきあいができた。学んだことは本当にたくさんあったし、貧困の現実も見た」
彼女は帰国後、そのとき知り合った人たちに服や日用品を送るようになった。
「楽しいことが好きで、友人たちともう着なくなった服の交換パーティーなんかしていたの。それでだれも着ない服などを送ったの。相手がどんなに貧しくてもボロや着古しは送らない。顔も家族構成もわかっているから、やっぱ、もったいないから着てくださいっていう気持ち。不要品のゴミ捨て場みたいな援助じゃなくて、友人や家族で使い回すっていうか、そういう気持ちって大切だなってすごく実感しました」
同時期に、東南アジアの国々で当時進出し始めていた日本企業の工場で働く若い女性労働者の現状も見た。こうした経験を通
して、アジアの社会状況への関心を深めていった。
「通訳の先輩の多くやジャーナリズムに進んだ友人の多くが、政治や市民運動に関心を持っていたので、自然に社会問題を考える女性のネットワークが出来た。みんな普通
に生活をしながら活動に関わっていた」
■市民運動をサポートする
彼女自身は、市民運動に関わるなかで、通
訳のお仕事をどう捉えてらっしゃったのか。
「通訳は情報の橋渡し役。自分は運動をする人じゃないと思った。だから、あまり主義主張を持たずに、共感できる市民の活動を語学の専門家としてバックアップしていこうと考えた」
伊庭さんはこうした問題意識を持って、「プロのサービスを草の根価格で」を合い言葉に、Eyelandと称する若い通訳者と翻訳の勉強をしている人たちの20人ぐらいのネットワークを作っていく。
「当時は通訳といったら高くてプロは頼めないし、市民レベルでの国際交流も数える程でした。まず最初は、プロの通
訳の仕事を知ってもらうことがたいへんだった。英語ができるのと、通
訳ができるのは違う。私たちは、日本語ができても突然アナウンサーにはなれないのと同じで、通
訳というのは耳と口を訓練して修得できる技術なのよね。最初はいろんな組織やグループでほぼ無料の通
訳ボランティアをしていたので、貯金はあっという間に底をついたけど、次第に、市民レベルでもこの仕事にお金を払う価値を認めてくれるようになったってわけ」
■農業の活動へ
そうした活動を続けるうち、何かとアジアの国々に長居をすることが多くなった。そして、伊庭さんは次第に農業グループに関わるようになる。
「アジアの国々のことを知れば知るほど、もっと交流しないといけないと思ったし、農業のことがわかってないとアジアの本質が理解できないと実感した。アジアの人口のほとんどは農村出身者で、農業に関わっているからね」
そして、86年のウルグアイラウンドを契機に、本格的に農業問題に取り組むようになったそうだ。
「当時、この貿易交渉の情報はコメ一色でした。Eメールもなく、ファックスも一部しか普及していなかったので、それ以外の重大な情報を効果
的に関係者に伝えることが重要でした。また、日本の農業運動は、組織中心のものが多く、組織の利益を優先させる傾向もありました。それで的確な情報伝達と利害関係者が十分に意見交換できる場として、『組織化』しないネットワークということを考えたの」
「通訳として、道具として使われるほうがいい」と仰る伊庭さん。通
訳を始めたときには、こんなに運動に関わるとは思っていなかったという。そんな彼女を運動をに向かわせたのは、社会的なニーズに対する鋭い感受性、そして躊躇することなく思考を実践に移す行動力だったのかもしれない。
聞き手:伊藤陽子 文:エコ就職ナビ編集部
|