「大学を卒業してから中学校の社会の先生になり、それを辞めてからしばらくホテルで働いていた。93年にその仕事をやめて半年ほどアフリカに旅行に行ってきたんだ。日本とは違うところに行ってみたかったんだよ。行く前からNGOで活動しようとは考えていたが、アフリカに行ってもその考えは変わらなかった。一段とその考えは強まったな」
こう話す畑さんが環境に興味を持ち始めたのは92年の地球サミットがきっかけだった。いろんな本を読んでいくうちにNGOというキーワードが浮かび上がってきた。
「そのころは北海道に住んでいたが、仕事のついでに東京に行き地球の友、グリーンピース、日本国際ボランティアセンター等のNGOを訪ねて歩いた。そうこうしていくうちにNGOで活動するということが徐々に見えてきたんだ。そして半年アフリカに行ったんだ」
アフリカから帰国してからは、日本リサイクル運動市民の会でアルバイトをした。そして今はなき市民フォーラム2001でボランティアとして活動しながら、様々なNGO団体とも関わっていった。そのアルバイトをやめた後、三年ほど国会議員の秘書をして生計を立てる傍ら、NGOではずっと地球温暖化問題を追いかけていた。九十八年に秘書の仕事をやめててから、現在は気候ネットワークの専従職員として働いている。
「市民フォーラム2001で活動していたときからずっと地球温暖化問題に関わってきた。それは大量
生産、大量消費、大量廃棄という今の社会構造に大きく関係しているからなんだ。どういう形であれ、これからもずっと地球温暖化問題に関わっていきたい」
畑さんの転機、それはアフリカに行き、これまでとは違う状況に身を置くことで、客観的に自分を見つめ直したこと、そこでこれからの自分を見据えたことだろう。
聞き手・文:藤長展子
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