第3回水銀会議報告~水俣の悲劇、強い条約制定へ~
2011-02-27 | カテゴリー:水銀会議報告 | キーワード:水銀会議
こんにちは!水プロジェクトのえーちゃんです。
最終回の今回は私がINC2に参加して感じたことを報告したいと思います。
1月23日昼、ホテルニューオータニ幕張でNGOによるサイドイベントが行われました。
このサイドイベントは「HONOURING MINAMATA(水俣に敬意を表して)」と名づけられ、過去に起きた水俣病の概要や被害状況、今後の課題についてのプレゼンテーションなどが行われました。サイドイベントの中で一際目立ったのは、アイリーンM.スミスさんによる水俣病に関する写真の数々と、坂本しのぶさんという生まれながらに水俣病の「被害」に遭い、1972年にストックホルムで開催された国連環境会議で水俣病を世界に訴えた方の発言でした。
───「お父さん、お姉ちゃんも水俣病。チッソは水俣病患者のために何かしたわけではない。(私は)国にも県にもとっても頭にきている。今も水俣病は終わっていない。今も水俣病の人たちは新しく出てきている。小さいころに夢があった。(水俣病になっていなかったら)保育園の先生になっていた。私が死ぬまでは終わらない。本当はもっと早く解決してほしい。私は自然のことも大切にしてほしい。水俣病のことを忘れてほしくない。」───
写真の発表では、加害企業チッソ工場から排出される水銀、被害者の痛ましい生活、チッソの不誠実さなど、当時まだ生まれていなかった私でも、その数々の写真から水俣病の悲劇がひしひしと伝わってきました。私はその写真の発表で目頭が熱くなり、坂本しのぶさんの発言では感極まり泣いてしまいました。ただただ悲しく、そしてチッソと日本政府に憤りを感じずにはいられませんでした。また、たかが一企業と一政府の私利私欲のためにどうして多くの人々の人権や尊厳が侵害されなくてはならないのか、そして、何十年も長い間、闘っていた中での精神状態とはいったいどれ程のものなのか、「想像を絶する」とはまさにこのことだと感じました。
水俣病の公式確認から50余年が経過しました。その傷跡は今なお深く、何万人という被害者がいる中、日本が「被害者」と公式に認定したのも一部の人々でしかありません。チッソは分社化という話があったり、日本政府は水俣市民の健康調査すら行っていません。また、日本はキルギスタンを除くアジアで唯一の水銀輸出国であり、その量は年間100トン以上にも上ります。
「水俣病のことを忘れてほしくない」。――――――――――私がNGOサイドイベントで、坂本さんが発言した中で、一番印象に残った一言でした。水俣病は「過去に終わった問題」ではありません。水銀汚染は世界中に広がり、外国では水俣病が今なお起きています。また、魚をよく食べる私たち日本人にとっても問題であり私たちの子どもの問題でもあるのです。世界中から水銀汚染が消え、水銀による被害がなくなったとしても、水俣病は永遠に語り継がられるべき環境問題であり、そこから学び、もうこれ以上1人たりとも被害者を出してはいけません。私は、水俣病に心を痛め、敬意をもてる心があれば、絶対強い水銀条約になると信じています。私はこれからも強い水銀条約にするために活動していきます。